夏休み2日目の8月14日(日)、良太と二人で「群馬の旅」に行ってきました。
JR東日本では群馬県観光局が主催する「群馬デスティネーションキャンペーン」に協賛する形で「鉄道で楽しむ!群馬デスティネーションキャンペーン」と銘打って各種イベントを開催しており、この期間、SLも走るということでちょっと気になっていたイベントでした。

群馬デスティネーションキャンペーン(群馬県観光局)

鉄道で楽しむ!群馬デスティネーションキャンペーン(JR東日本)

最初は完全に自分たち(パパ&良太)で乗る電車も決めて行くつもりで中野駅のみどりの窓口に向かいましたが、ほぼ同一の行程で往復新幹線利用(計画では帰りは在来線利用)、「峠の釜めし」と「碓氷峠鉄道文化むら」のチケット込みで計画よりも安いツアーがあったため、今回の旅はそのツアーを利用する方針で決定。


東京駅から「Maxたにがわ403号」で一路、高崎へ。

東京〜高崎間で約1時間の新幹線の旅。良太との旅は久しぶり。2階席の窓側がとれて、流れ行く景色を見ながらルンルン気分です。

高崎にはあっという間に到着。

父は喫煙所を探すも「駅構内は新幹線ホームを除いて全面禁煙です」との駅員さんのお言葉。
だったら新幹線ホームの喫煙所でしっかりと体内にニコチンを満たしておけばよかった...。
愛煙家はつらいです。


さぁ、高崎駅でD51とご対面。D51(愛称:デゴイチ)はSLの代名詞的に扱われていますが、それは以下のような事情があったためです。

国鉄D51形蒸気機関車 - Wikipedia

主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、その所属両数は総数1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数では最大を記録した。この記録は現在も更新されていない。

それでは、今回私たちの前に勇姿を見せてくれたD51-498号機はどのような経緯を辿ってきたSLなのでしょうか?

国鉄D51形蒸気機関車498号機 - Wikipedia

SLが引退しつつある頃に小学生であった私の世代では、D51は力強く貨物列車を引っ張るSLであり、北海道の原野を重連で黒煙を吐きながら貨物列車を引く姿はとても勇壮でしたが、子供たちのヒーロー(もしくはヒロイン?)のSLとしては東海道本線で特急列車を引いていたC62(特に2号機:デフ板にツバメのマーク)や「貴婦人」と称されたC57に人気が集まっていました。(これってテツな少年だけの話題かも?!)

国鉄C62形蒸気機関車 - Wikipedia

国鉄C57形蒸気機関車 - Wikipedia

そういった意味では良太との「たび」で京都を訪れた時に、旅梅小路機関区で小学生のころから憧れだった「62-2号機」に出会えた時は強烈なインパクトがありました。

************************* 昔の日記より *************************

2007.5.6 「第13回 小さなたび」 より(抜粋)

で、金閣寺の次は私のリクエストである「梅小路蒸気機関車館」へ。
ここも私が中学一年生の時に来て以来、30年以上ぶりに訪れたところです。昔来た時は、一般公開はされていたものの、現在のような「機関車館」という施設ではなく、名前も「梅小路機関区」という名前だったように記憶しています。
当時来た時は、全ての機関車(18台!)が動態保存されていて、頻繁に転車台を使って機関車の入替をやっていたように思いましたが、現在ではすぐに動ける状態の機関車は7台だけで、11台は静態展示の状態となっていました。(それでも、少し整備すれば動かせる状態ではあるようですが。)

私の小学生時代はちょうど日本中のSLが引退していく時期で、都内近郊でも去りゆくSLが見られた時期でもありました。
特に1972年には「鉄道100周年」を迎え、日本各地でSLの記念運転が行われ、当時小学4年生だった私も各地にSLを見に行った記憶があります。
そういえば、この梅小路蒸気機関車館も鉄道100周年を記念して開設されたものです。

SLというと一般的にはD51(デゴイチ)が有名ですが、これは製造台数が多くて、それだけ目にする機会が多かったため。
私としてはC62という機関車が大好きで、特に2号機(C62 2)は東海道本線で特急つばめを引いていたためデフ板(除煙板)につばめのマークが付いており、これがたまらなく好きで、小学生の頃、SLの絵を描くときは必ずこのC62 2号機の絵を描いていました。
ということで、私の思い出の地も訪ねることができ、私にとっても大満足の「小さなたび」となりました。

************************* 昔の日記終り ************************

あのC62-2号機に出会った時のインパクトを超えることはなかなかありませんが、大好きだった「鉄の塊であるSL」が蒸気や黒煙を吐き、汽笛を鳴らしながら走る姿には今でも感動を覚えます。

良太をはじめ、私たちの子供世代ではSLは「歴史上の乗り物」なのかもしれませんが、私が子どもの頃には、関東圏では現役は少なくなってきていたものの東北や北海道ではまだまだ活躍していました。
鉄道の旅が新幹線の充実によりどんどん高速化されるのは、仕事を考えると大歓迎ですが、「鉄道の旅」という意味では「風情」や「情緒」というものが失われてきているのかもしれません。

オジサンとSL。
D51-498号機は昭和15年製造とのことで、来年80歳になる私の老母よりちょっと年下。これからもしっかりとメンテナンスしてもらって子供たちに勇姿を見せ続けてほしいものです。


当日の動画(YouTube)

さて、高崎駅でデゴイチの勇姿をしっかりと楽しんだ後は、旧信越本線の遺構を楽しむべく横川に移動します。

横川へは2両編成のローカル線の電車で移動です。
ローカル線っぽく、BOXシートの車両かと思いきや、ロングシートでしかも車内は結構混んでおり、車内だけ見ると都内のJR車両とあんまり変わらないイメージでした。


横川駅到着。

昔は「次の駅」があったのですが、1997年の長野新幹線の開業により「横川〜軽井沢間」が廃線となり、今はここが信越線の終点です。

ちなみに軽井沢から先、篠ノ井までは第三セクターの「しなの鉄道」へと移管されました。

横川といえば、ご存じおぎの屋(本店)の「峠の釜めし」です。
軽井沢方面にクルマで向かう時も上信越自動車道ができる前までは、ここ横川駅の脇にあるドライブインで「峠の釜めし」を食べてから碓氷バイパスへと向かうというのが暗黙のルールrだったような気がします。

ちなみに今回のツアーでは釜めしが2人分、料金に含まれていましたが、「偏食王」の良太は釜めしを食べられない...。最近、牛丼は大好物になったのにシイタケやアンズ、栗などが入った「釜めし」は拒否。

ということで、良太は「ざる蕎麦」をオーダー。

信州ゆえに蕎麦も美味しそうでしたが...(^_^;)

ランチの後は軽井沢行のバスに乗り「めがね橋」へと向かいます。「めがね橋」は横川〜軽井沢間の信越本線の遺構で、ここから横川駅まで「アプトの道」という線路の跡を通って戻ってくる予定。
アプトの道とは、横川から碓氷峠までの急な上り坂を列車が登るために導入された「アプト式鉄道」に由来しています。

アプト式鉄道とは線路の中央にギア状のレールを敷設し、機関車側に付いている歯車とかみ合わせることで、機関車の馬力を最大限発揮するようにした方式です。

アプト式 - Wikipedia


旧信越本線の碓氷第三アーチ
建 設:明治25年12月竣工
設計者:パウエル技師(英)/古川晴一技師(日)
構 造:煉瓦造 アーチ橋(径間数 4/長さ 87.7m)
建設してからあゆみ

碓氷の峻険を越えるため、ドイツの「ハルツ山鉄道」のアプト式を採用して横川、軽井沢間が明治24年から26年にかけて建設されました。
その勾配は1000分の66.7という国鉄最急勾配です。この橋は昭和38年9月、速度改良のための新線の完成と同時に使用廃止になりました。

このアーチ橋は廃止になった構造物の中では最大のものです。すぐれた技術と芸術的な美しさは今なお、その威容を残しております。ここに往時を偲ぶ記念物として、その業績を長く讃えたいものです。
昭和45年1月1日 高崎鉄道管理局/松井田町教育委員会

めがね橋の上に到着。

この橋の軽井沢寄りにあるトンネルは途中で閉鎖されており、このトンネルの入り口からちょっと入ったところはひんやりと冷気が漂い、暑い中を登ってきた私たちに一瞬の涼しさを感じさせてくれました。

ちなみに橋の上は「スズメバチ注意!」とのことで、良太も私もちょっと緊張気味。

とは言いながらも一応は記念撮影。(顔、こわばってる?)

でもこの橋の上から見る山々の美しさは最高でした。

その後、廃線跡を下っていくといくつかのトンネルに出会います。
トンネルの中はヒンヤリとしていて、真夏のウォーキングでは「ちょっと一息」ポイントでした。

トンネル出口にて。

汗っかきのオヤジには一定間隔でトンネルがあるのは非常に助かりました。


トンネルが続く区間を抜けた後は、ひたすら日をさえぎる木々が無い、灼熱の下り道。

空気がきれいな分、紫外線も強いようで一気に日焼けしてしまいそうです。

「峠の湯」までは、昭和38年に信越本線の新線が開業する前の旧線跡を下ってきましたが、「峠の湯」(廃線跡にできた温泉施設)からは1997年に長野新幹線の開業時に廃線となった「新線」の跡を下ります。

ということで、この「峠の湯」には新・信越本線の廃線時の終端が残っています。


ここからは「アプトの道」にも線路(架線も)がそのまま残っており、また、ここからは廃線跡を利用した観光トロッコ電車の「シェルパ君」(すでに鉄道文化むらの一施設)が並走しています。

実はこの区間が信越本線の最高斜度の区間だったようで、ちょっと調子の悪いシェルパ君(下りでブレーキ系に障害があり、速度調整ができない?!オイオイ!)は「峠の湯」からの運転を見合わせて、丸山(変電所跡地)での折り返し運転となっていたようです。


延々の下り道に脛が痛くなってきそうな頃、やっと丸山(変電所跡地)に到着。

ひたすら下り道の疲れと紫外線から逃れるべく、ここからはトロッコ列車(シェルパ君と呼ぶらしい)で残りの経路を下山することにしました。

ふぅー、疲れたぜ!


シェルパ君はいきなり「碓氷峠鉄道文化むら」の園内の駅に到着。

碓氷峠鉄道文化むら

園内には30両の機関車、客車等が展示されており、実車の展示台数では鉄道博物館と肩を並べる規模です。
(展示状態は鉄道博物館の方が勝ちでしたが...)

189系 特急「あさま号」
189系は以下の経緯で開発された車両とのことです。

日本の鉄道の難所と呼ばれる碓氷峠。
ここを通る列車は、電気機関車の強力なパワーに引っ張ってもらえなければ、走られなかった。そこで、183系をベースに、今まで使われてきた181系を置き換えるために登場したのが189系。上野と長野を結ぶ特急「あさま」用として、1975(昭和50)年より運転を開始した。
基本的な外観をはじめとする構造は183系と一緒で、見分けがつかない。ただし、違うのは難所・碓氷峠(横川〜軽井沢)を走る電気機関車EF63と協調して走ることが出来る点で、このために189系は開発されたのである。

189系特急型電車 - 日本の旅・鉄道見聞録

ちなみに同一デザインの485系は特急型電車の代名詞的存在であり、交直流電車あったため、函館から鹿児島まで、あらゆる場所に足跡を残してきた車両です。正直、見分けがつきません...。

485系特急型電車 - 日本の旅・鉄道見聞録

最初、展示館前の車両(5両程度)だけかな?と思い、これで「鉄道文化むら」かよ!と思っていたら、奥の屋外展示場に「参ったか!」と言わんばかりの歴史的車両の展示があり、ちょっと前に「ショボイな!」と心の中で思った気持ちを深く反省しました...<m(__)m>

EF53(左)& EF62-1号機(右)

国鉄EF53形電気機関車 - Wikipedia

国鉄EF62形電気機関車 - Wikipedia

EF30(左)& EF58(右)

国鉄EF30形電気機関車 - Wikipedia

国鉄EF58形電気機関車 - Wikipedia

アプト式鉄道のラックレールの実物。

国内で「アプト式」が採用されたのはこの信越本線の碓氷峠と大井川鉄道井川線のみで、大井川鉄道ではまだ現役で使用されているようです。

大井川鉄道井川線 アプトいちしろ駅 - Wikipedia

横川駅構内から文化むらへと、駐車場を横切り伸びているレール。

最初は駐車場の入り口の門扉のレールかと思いましたが、さもあらず。展示車両の入れ替え時にはこの線路を経由して横川駅の構内から運び込まれるようです。

EF63形 甲種輸送 11号機の到着と搬入(YouTube)

久々に「テッちゃんワールド」を楽しんだ後、帰途へ。
横川駅は「田舎の駅」の雰囲気が溢れていて郷愁をそそります。

横川駅から高崎駅まで戻り、高崎から新幹線で東京へと帰ってきました。

翌15日は母、姉と3人で墓参りの予定。朝からクルマで出かけなければならないということで、夏休み前半はかなりタフなスケジュールでしたが、この日、照りつけるような日差しの中を久々に良太と語り合いながら歩き、楽しめたことで充実感一杯の「たび」でした。

楽しかったです。

おしまい。